「なぜ、上流の水の流れは透明なのか」
―河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える―
第8章 荒廃した河川とその改善(1/2)-第1節
2024/05/25
2023/08/03 07/10 2020/12/10,10/14, 10/01. 05/01. 03/15.
一部訂正
第1節 荒廃した河川と環境
失われた自然環境と様々な生物
砂防堰堤もコンクリート護岸も、それらを建設した場所では充分に機能を果たしているように見えるので、全く有効な治水方法であると考えられて来ました。
しかし、河川全体を俯瞰して見た時には、それらは、上流や中流では土砂を必要以上に流下させ続け、中流や下流に自然ではあり得なかったほどの量の土砂を堆積させ続けています。また、河川全体の水流に急激な増水と急激な減水を生じさせています。そして、ダムの誤った放流方法も同様の結果をもたらしています。
つまり、それらは、治水を目的として建設され続けて来たにも拘らず、河川が自然状態で保っていた治水的機能を悪化させています。ですから、日本全国の河川はそれらの建設以前に比べて、より多くの場所により大きな規模の水害を生じさせる可能性を増大させ続けていると言えます。
しかも、それら砂防堰堤やコンクリート護岸に頼った治水方法は、永続性が極めて乏しいものでもあるのです。それらは、増設され続け、頻繁に作り替え続けなければなりません。それらは、工事区域の新たな拡張や工事の規模の拡大や、それらの幾度もの実施を要求する、際限のない工事です。それらは、建設しても建設しても新たな建設の必要性が生じてくる、まるで「モグラたたき」ゲームのようになっています。
また、より長い年月を考えると、貯水式ダムも、それらと同様に永続性がない方法であり、費用対効果の採算性も良いとは言えない工事方法であると考えられます。
そして、河川の土砂流下に関わる間違えた工事やダムの放流方法は、治水状況を悪化させるだけでなく、自然が形成していた環境を破壊することでもありました。ですから、河川やその周囲に棲息する多くの生物にも重大な影響を与えています。
河川の水流の状況と土砂の流下堆積状況は、河川とその周囲に生息するすべての生物にとって、生きていくための前提条件です。
地球上の多くの生物は、それぞれの生態に適した環境で棲み分け棲息しています。河川に生息するほとんどの生物が種として現在の姿に進化する以前から、河川には水流があり石や岩をはじめとする様々な土砂もあったのです。河川では、水流が流下し、土砂がその規則性に従って流下し堆積することにより、上流と中流も含む自然の河川が形成されていました。
明瞭な四季があり山地が多く降雨量も多い日本では、その事を反映した自然環境が形成され、河川でも多様な様相が成り立ち、それらはそれぞれに長い年月に亘り継続して在り続けていたのです。ですから、河川やその周囲を棲息域とする生物も多様な状況に適応した棲み分けをして棲息し続けていました。
ところが、砂防堰堤やダムの放流やコンクリート護岸の建設によって、自然では有り得ない程の速さで、今までには無かった変化が生じてしまいました。
多くの地域のほとんどの河川で、ほとんどの生物種にとって過去に経験したことの無い自然環境の変化が生じています。それによって、多くの生物がそれらの変化に対応することが出来なくて数を減らし、或いは姿を消しました。逆に、却って自らの生息に都合の良い状況が増えて、その生息数を増やしている生物種もある事でしょう。
砂防堰堤やダムの放流やコンクリート護岸によって失われたのは、自然の河川が持つ治水的効果だけではありません。自然の河川が元々保っていた自然環境もその多くが失われました。
以下では、自然環境の破壊とそれが生物に与えた影響について、釣り人の立場から言及してみます。
水生昆虫と鳥
例えば、河川の上流や中流の流れに生息する「カゲロウ」「カワゲラ」「トビケラ」等の水生昆虫について考えてみます。
河川の水中に生息する昆虫類や生物はそれら以外にも幾種類もあるのですが、上記の三つの仲間だけでも日本には数百種類が棲息していると言われています。
それらの水生昆虫は、幼虫として長い成育期間を水中で過ごし、成虫になって水中の外で活動するのは生殖活動のためのごく短い期間の間に過ぎません。その生涯は、地中で長い期間を過ごす「セミ」と似ていると言えるかもしれません。それらの水生昆虫はそれぞれの種類ごとにその形態や食性や棲息環境など生態が大きく異なっています。そして、そのことによって、陸地にある淡水の中と言う限られた生息範囲であるのにも拘わらず、多くの種類の生息が可能になっていました。
上流や中流に生息する種類でも、あるものは水中の石や岩に成長する藻類を餌として、あるものは流下して来る小さな有機物を餌として、あるものは他の水生昆虫などの生物を餌として棲息し成長しています。
あるものは早く流れる水中で、早い流れにも流されない形態をもって石や岩に密着して、流されない巣を作って、あるものは穏やかな流れの中で石や岩に隠れ、砂粒を鎧のようにまとい、砂地の中に潜み、水流の強さや川底の土砂の違いによって、それぞれの種類ごとにそれぞれの場所に住み分けています。
同じく河川の水中に棲息する生物でありながら、その種類の数だけ成育棲息環境が異なっていると言えるほどです。そして、河川はそれらすべての種類の水生昆虫が成育し子孫を残せるだけの多様な自然環境を提供していました。
つまり、河川の上流や中流には、淵があり、荒瀬があり、早瀬も平瀬もザラ瀬もあり、水が速く流れる場所もあれば、穏やかに流れる場所もあり、深い流れも浅い流れもあるのが普通だったのです。
大きな石や岩があり小さな土砂もあるのが普通で、通常の増水であれば水流が濁る事もなく透明な水が流れる事も普通でした。規模の大きな増水の時や土石流が発生した時に限って、濁った水と大量の土砂が流下していたのです。常に川底を砂が流れている状況も無かったのです。
そして、そのようなごく普通の環境が様々な種類の水生昆虫類の棲息を可能にしていました。
しかし、砂防堰堤やダムの放流やコンクリート護岸によって、それらの多様な棲息環境の多くが失われました。人工的な構造物の設置や誤った行為の後の変化の少ない流れの中で棲息できる水生昆虫の種類は多くありません。水生昆虫は水がありさえすれば生息出来るのではありませんから、多くの種類がその生息数を減らし、或いはその姿を消しました。逆に、生息数を増加させている種類もあることでしょう。
上流や中流の水中やその周囲で生活する魚類やその他の生物の多くは、上記の水生昆虫類をその主要な餌にし、或いは水生昆虫類を餌にしている生物を餌にしていました。
ですから、水生昆虫を餌として、上流や中流の水中やその周囲を生息域とする多くの生物、魚類や甲殻類や両性類や爬虫類や鳥類や哺乳類の棲息は困難になりました。或いは絶滅したものもあります。
私が少年の頃、「セグロセキレイ」や「キセキレイ」また、「ハクセキレイ」は水辺の鳥でした。それらの鳥は、市内にある清流や渓流であれば、何処でも見かける普通の鳥でした。それらの鳥は上述の水生昆虫を多くその餌にしていたのです。川面を踊るように飛びかう水生昆虫を空中で巧みについばむそれらの鳥の姿を見ることは珍しい事では無かったのです。
でも今では、近郊の流れでその光景を見る機会は多くありません。ところが、「ハクセキレイ」の姿は、私の住まいの近くにある公園の運動広場で毎日のように見ることが出来るのです。「ハクセキレイ」は渓流や清流を離れ、その生息環境が変わっても生き延びることが出来るようです。それに対して、「キセキレイ」が、水辺を離れる事は困難なようです。
鳥は空を飛んで遠くまで行くことが出来ます。しかし、水中で生きている生物にはそんな事は不可能です。水生昆虫が空を飛べるとしても、それは生涯の内のごく短い期間に過ぎず、その距離も至って短いのです。しかも、水生昆虫は水流の中でだけ生息出来るのであり、その生息環境も限られているのです。清流や渓流の水生昆虫は間違いなくその数を減らしています。
過日、釣りの友人との話の中で「ヤマセミ」が話題になりました。以前でも「ヤマセミ」を見る機会は多くは無かったのですが、特別に珍しい鳥ではありませんでした。でも、今では絶滅危惧種になっているそうです。昨年、たまたま見かけたので話題になったのです。「ヤマセミ」はその餌の多くが小魚だと考えられますが、その小魚の餌のほとんどは水生昆虫ではないでしょうか。また、「ヤマセミ」の餌の一部が水生昆虫である可能性もあるでしょう。
「アユ」の場合
砂防堰堤やダムの放流やコンクリート護岸による影響は、もちろん「魚類」にも及んでいます。中でも各地の内水面漁業協同組合の最大の関心事である「アユ」に及ぼしている影響は甚大です。
「アユ」が、透明な流れの底の石や岩の表面に成長する「藻類」を食んで成長することは良く知られています。
アユは「藻類」が生育した中でも大きな石や岩を好むようで、友釣りの場合であれば、大きな石や岩がある場所で釣れるアユは大きいのが普通です。おそらく、石や岩が大きいほどアユの採餌行動の効率が良いのでしょう。
しかし、砂防堰堤やコンクリート護岸によって大きな石や岩が岸辺からも流れの中からも失われました。さらに、それらの場所では小さな土砂が多く流下し続け同時に堆積もしているのです。「藻類」が生育する環境は確実に失われ続けています。このような水流ではアユを豊かに育むことは出来ません。
増水によって茶色に濁った水流は成長していた「藻類」を流し去ります。つまり、土や砂などの小さな土砂は、川底の石や岩に成長していた「藻類」を削り取って流れます。もちろん、濁った河川では「藻類」は生育しません。また、濁りが無くても、石や岩の表面を砂が流れる状態であれば「藻類」は生育しません。
日本中のほとんどの河川で、泥や砂や小砂利などの小さな土砂が流下する機会が増えています。泥や砂や小さな砂粒が僅かな増水の際にも流下し続けていますから、ほとんど透明に見えても小さな砂粒が舞うように流下している事も多くあります。「アユ」の成育には不都合な状況が日本中で発生しています。
「アユ」は、茶色に濁った流れでは長期間の生息はできません。このことは、「イワナ」「アマゴ」「ヤマメ」などの渓流魚との大きな違いです。
濁った流れが発生すれば、「アユ」は茶色の濁った流れを逃れ、濁りが薄く石や岩がある岸辺の緩やかな場所や、大きな淵や、濁りの少ない支流などに一時的に逃れています。そのような流れが無ければ、時には海にまで戻ることもあるようです。
それでも濁りから逃げることが出来なくて、濁りの中に長期間いた「アユ」は衰弱して死にます。増水の時でも濁りの発生が少ない岸辺の穏やかな場所や淵、或いは支流は、日本中で少なくなっています。このことも「アユ」の成長には不都合な事柄です。
静岡市内を流れる「興津川」や「安倍川」では、この地域に大きな規模の増水があって、その後透明な流れに戻った時に、流れに相応しくない大きな「アユ」が釣れることがありました。普通、一年でその生涯を終える「アユ」は、水量が多く石や岩が大きい川であるほど大きく成長します。水量がそれほど多くなく、石や岩も比較的に小さい「興津川」や「安倍川」の「アユ」はあまり大きくは育たないのです。それに対して水量が多く石や岩も大きい「富士川」の「アユ」は大きく育ちます。
静岡市内の河川で増水の後に釣れる特別大きな「アユ」は、「富士川」の濁りを逃れて海に出た後に「興津川」や「安倍川」に遡った「アユ」だと地元では言われていました。「富士川」と「興津川」の河口間の距離は約10km、さらに「安倍川」河口までは約20kmです。以前であれば、規模の大きな増水の後では、静岡市内の流れは「富士川」よりも濁りを解消するのが速かったのです。でも、現在では、「興津川」も「安倍川」も濁りの解消が極めて遅くなっていますから、昔のように「大アユ」が釣れる可能性も無くなっている事でしょう。さらに、いずれの河川でも、アユの生息数自体が極端に減少しています。
「淵」が浅くなり或いは無くなり、岸辺近くから大きな石や岩や小さな石や岩も無くなったので「アユ」が夜間にとどまる場所が減りました。「アユ」は、昼間は「藻類」を食む為に流れの早い水流にも出現しますが、夜間や増水時には穏やかな流れの「淵」などにいる事が多いのです。
「アユ」は、その産卵を下流に近い中流域のきれいな流れの「瀬」で行います。流れの底の石や岩が砂に覆われ不安定な状態であれば産卵は困難です。産卵の後にそれらの場所に砂や濁りが流れて来ればその孵化数が少なくなります。また、産卵に適した区域が減少すれば産卵場所が重複することが増えて、全体の孵化数も減る事でしょう。
私が青年の頃、「石川釣り」或いは「毛針釣り」と呼ばれる「アユ」釣りの方法がありました。釣り糸の先端に「おもり」をつけてその途中の幾つかの枝糸に小さな「毛鉤」を付けます。「毛鉤」はほとんど手工芸品で、それぞれの姿ごとに優雅な名前が付いていました。
それらの仕掛けを付けた長い竿を大きな淵の底に差し出して上下させます。そうして、先端に付けた「おもり」の感触から川底の様子を探りながら「アユ」が掛かるのを待ちます。この時、淵の底が砂であったならば釣果は望めません。「おもり」に触れる川底が石や岩でなければ釣果は望めないと言われていました。
現在、川底が石や岩に広く覆われているような淵は多くありません。いや、ほとんど無いのかもしれません。上流からは常に砂が流れて来るので淵の底は常に砂で埋まっています。
現在では「石川釣り」は釣果が望めない廃れた方法なのかもしれません。魚が釣れない方法を採用する釣り人はいないのです。かつて「興津川」は「石川釣り」で有名な河川でしたが、今ではそのことを知っている釣り人も少ないでしょう。
一年ごとに世代交代を繰り返している「アユ」は、成長の期間中に、他の魚類が利用しない「藻類」を餌としますから、その生存には他の魚類よりも有利な状況があるのかもしれません。しかし、「アユ」の場合でも、河川の状況がかつての自然環境と大きく異なれば、成育と種の継続が困難になるのは当然のことです。
「ウナギ」の場合
稚魚が取れなくて養殖数が減っていることがしばしば話題になる「ウナギ」も、砂防堰堤やダムの放流やコンクリート護岸の影響を大きく受けています。
海から河川に上る「ウナギ」は下流や中流だけでなく水量の少ない上流にまで遡って棲息します。
こんな小さな流れにも「ウナギ」が遡るのかと驚いた経験があります。静岡市内に「浅間神社」と言う大きな神社があり、古い時代の「安倍川」の痕跡である流れがその境内を取り囲むようにして流れています。その境内には小さな池もあり、そこから湧き出した水や、大きな社や廻廊を巡る水路の水が境内の外側の流れに注いでいました。
その境内を遊び場にしていた少年の頃、石で囲まれた小さな水路の中に10〜15cm位の「ウナギ」の幼魚を見つけた事が幾度かありました。しかし、網を用意していなかったので、何れの機会も「ウナギ」の幼魚を捕まえる事は出来ませんでした。
境内の外側を流れる小さな水流は、その下流で暗渠となり、やがて「巴川」(トモエガワ)と言う河川に続いています。「巴川」は、「ちびまる子ちゃん」の話にも良く登場しますから、ご存じの方も多いかもしれません。
「巴川」は、三保半島に囲まれた清水港のある折戸湾に注ぐ河川で、ほとんどが平地部を流れるので、上流に該当する箇所はごく僅かです。小さな「ウナギ」は、太平洋から駿河湾、折戸湾、巴川、暗渠を遡って幅30cm程の小さな水路にまで至ったのです。
また、「カキ」を餌にしている「ウナギ」の次においしいのは「サワガニ」を餌にしている「ウナギ」である、との話を聞いたことがあります。「ウナギ」は、「カキ」が生育する汽水域だけでなく、「サワガニ」が棲む小さな流れにまで遡っています。もちろん、多くの河川で、「ウナギ」が普通に生息していた時代の話です。
「ウナギ」は、昼間の内には、流れの中に出来た「岩陰」や「物陰」や「穴」に潜むことが多く、夜になるとそこを出て餌を漁っています。
「ウナギ」を捕る漁法のひとつに、その性質を利用した方法があります。餌を付けた釣り針を竹の棒の先に取り付けて、ウナギが潜んでいそうな穴や岩陰にその棒を差し込みます。「ウナギ」がそれを食い込めば、棒と一緒に「ウナギ」を引きずり出します。この方法はあまり深い場所や流れが強過ぎる場所では出来ません。当然、穴や岩陰が見える透明な流れでなければこの方法は成り立ちません。
「ウナギ」の場合でしか成り立たない漁法は他にもあります。その方法は映像で見たものですが、ひざ丈程度の深さの穏やかな流れの中に、周囲から集めた人の頭大の大きさの石を1〜2平方位の広さに幾段か無造作に積み上げます。仕掛けはそれだけです。
何日か後の昼間、石積みの下流側に網を仕掛けて石を取り除いていきます。夜のうちに格好の棲みかを見つけて潜んでいた「ウナギ」は住処が無くなり網に流れ込みます。全く単純で解り易い漁の方法です。
これら二つの漁の方法は、いずれも上流や中流に石や岩が安定して多くあり、通常の水流が透明であることを前提にしています。
「ウナギ」が潜む事が出来る「岩陰」や「穴」は、自然の流れの淵や荒瀬の中や石や岩が多い場所に出来ます。或いは、水中の土の壁や、木の根の間に出来ることもあるでしょう。しかし、ほとんどの河川の中流はコンクリート護岸に覆われ、上流にも数多くのコンクリート護岸が建設されてしまいました。淵や荒瀬が失われ、岸辺や流れの中から大きな石や岩が流下し、或いは石や岩は砂や泥に覆われています。それらの岸辺や流れの中に「ウナギ」が棲息出来る「岩陰」や「穴」が形成される可能性は極めて少なくなってしまったのです。
水量が多く水深があり石や岩も多く川幅の広い中流域を除けば、「岩陰」や「穴」は昔よりずっと少なくなっている事でしょう。ほとんどの河川で「穴」や「岩陰」があってもその多くが砂や泥で埋まっています。さらに、餌となる生物の数自体も減っているのです。
「ウナギ」を捕獲する漁の方法は上記の他にも幾つもあり、「ウナギ」は上流や中流だけではなく下流域や汽水域にも棲息しています。でも、過去には、中流や上流で数多くの「ウナギ」が成育していたことは確かです。
そして、河川の流域の姿が広葉樹の樹形に似ている事を考えれば、上流や中流の流域の広さを無視することは出来ません。日本中の河川から「ウナギ」の生息数が激減している事も確かだと言えます。
「ウナギ」の稚魚が長い旅路の末にようやく日本に辿り着き、それぞれに河川を遡ったとしても、多くの流域で棲息可能な場所が失われています。ウナギの餌となる生物も数を減らしています。河川で成長して子孫を残すために海に戻る「ウナギ」の数が減っている事は間違いありません。
また、ようやく日本に辿り着いた「ウナギ」の稚魚が河川を遡ること無く捕獲され、養魚場で養殖されることも多いのです。日本中で、年々「ウナギ」の数が減少しているのは当然の事です。
それぞれの魚種やその他の生物
生息数を減らしているのは「アユ」や「ウナギ」だけではありません。
「アマゴ」「ヤマメ」「イワナ」が生息している上流でも、養殖したそれらの魚を数多く放流しなければ、その生息が保てない河川が多くあります。生息環境が悪化しただけでなく、釣り人の数も増えました。
私の地元で「フジハナ」と呼ばれ、五月になると集団で盛んに産卵活動をする「ウグイ」を見る機会もほとんど無くなりました。少年達が魚釣りの対象にする「ハヤ」「モロコ」「オイカワ」も生息数を減らしています。また、農耕地の小さな水路では「トノサマガエル」の姿を見る事も無くなりました。この事もそれらの水路の「コンクリート護岸」の問題と関係があると考えられています。
小さな沢では何処でも普通に見る事が出来た「サワガニ」を見かける事も少なくなりました。
河川上流中流の流れやその周囲に生息する魚類やその他の生物は、上述以外にも数多くの種類があったのです。釣りや漁や遊びの対象にならない多くの種類の魚や多くの種類の生物が、人々に知られる事無く姿を消していったことでしょう。
例えば、川幅を同じくしてコンクリート護岸に囲まれた上流や中流では、規模が大きな増水が発生した時に、魚類など水中の生物が強い濁流から逃れることが出来る場所がほとんどありません。岸辺に逃れたとしても、流れを妨げる障害物も何処にも無いのです。岸辺にあるのはコンクリートの斜面だけです。
以前でしたら何処でも普通に見られた、増水時でも穏やかに広がる河川敷や荒れ地はありません。岸辺のコンクリート護岸の前に逃れても、早い流れに流されるだけです。増水時であっても他より穏やかに流れる大きな淵もほとんどが失われました。増水時であっても濁りが少ない支流は無くなりました。増水時に透明な水が染み出し湧き出していたはずの場所もコンクリートでふさがれました。
水中や水辺近くに生息していたその他の生物でもそれは同じことです。水中や河川敷に生息していた多くの生物が下流に流され、その生息や種の継続が困難に或いは出来なくなっています。
上流や中流の水中や河川敷に生息していた多くの生物種が、その数を減らし或いは消滅したのも当然の事でしょう。
河川の上流や中流を棲息域とし、或いはその生活史の途中で棲息域としている生物は、その生活の中で「淵」や「瀬」を、深い流れや浅い流れを交互に利用しています。多くの魚類は、流れがあり酸素供給量が多い「瀬」を産卵場所にしています。また、最初から淵を生息場所にしている魚種もあります。
稚魚の時には多くの魚が、石や岩が多く流れが緩くて浅い「瀬」の岸辺近くに生息しています。小規模な堰堤を勢いよく乗り越えていく「若アユ」でさえも、上流へ遡るのは岸辺近くの流れの穏やかな場所であるのが普通です。堰堤を勢いよく乗り越えるのは、それが流れの幅の全てにあるからに過ぎません。
河川上流や中流に生息する生物は魚類だけではありません。「カニ」「エビ」等の甲殻類や「シジミ」等の貝類も、また「カエル」「サンショウオ」等の両生類や「カメ」等の爬虫類も、さらには、水面や水中で餌を漁る鳥類もいるのです。そして、数多くの昆虫類も棲息しています。或いは生息していました。
河川上流や中流の周囲では、数多くの生物が水流中に棲息している事を前提にして、鳥やその他の動物も棲息していました。
渓流釣りの途中で出会った動物の種類は多くあります。イタチやタヌキやウサギやアナグマやハクビシンやキツネやシカやサルやネズミやモグラなど、或いはカモシカなど多くの種類の動物を見ることがありました。また、蛇やカエルやトカゲも普通に見かける生物でした。
でも、コンクリート護岸が出来た場所では、水辺にそれらの動物を見たことはありません。コンクリート護岸の上端に佇む二ホンザルを見たことはありますが、彼らであってもそこから水辺に降りる事はないでしょう。
それらの野生動物は、コンクリート護岸が建設されていない場所でのみ水辺に近づくことが出来ると考えられます。
岸辺の全てがコンクリートで覆われる以前でしたら、鳥を始めとしてその他の動物の営巣場所も多くあり、餌も豊富で、その棲息は全く問題のないことでした。
「カワウソ」が居なくなったのはもう随分昔の事です。その頃から河川とその周囲の自然環境は一貫して悪化し続けて来ました。そして、自然環境悪化の原因を突き止めることも無ければ、その対策をとる事もなく、治水を目的に掲げた誤った河川工事が続けられてきました。
河川の上流や中流には「淵」も必要で「瀬」も必要です。それぞれの場所で様ざまに異なる幅の河川敷も、深い流れも浅い流れも必要です。様々な様相を見せる多様な自然と、大きな増水の時以外には濁りが発生しない透明な水流が必要です。そして、人間だけでなく、小さな野生動物も問題なく行き来出来る自然の岸辺が必要です。
自然環境問題に関してさらに付け加えるならば、自然環境が悪化したのは上流中流だけではありません。平地の小さな水流でも昔からあった自然環境が失われています。
平地におけるあらゆる場所へのU字溝の設置が、魚類、甲殻類、貝類、両生類、爬虫類、哺乳類を始めとする多くの小動物の棲息を極めて困難に或いは不可能にしています。逆に、外来生物が新たな環境で生息数を増加させている事実もあります。平地のU字溝もコンクリート護岸と同様の機能を果たしています。U字溝に落ちた小さな動物は地上に戻る事は出来ません。U字溝の内部では小さな動物が巣をつくることも出来ません。
昔からあった自然環境が河川から失われたのは、「砂防堰堤」や「コンクリート護岸」や「U字溝」の建設があったからです。河川から多くの石や岩を持ち出した事も間違いでした。そして「貯水式ダム」の放流方法も間違えていたからです。
自然環境の悪化と棲息する生物への悪影響のすべてが「砂防堰堤」や「コンクリート護岸」や「貯水式ダム」の放流によるものだと言うつもりはありません。でも、それらが最も大きい影響を与えている事は間違いがありません